人間の直観と外れた話
勉強したことも使う機会が無ければ、時と共に忘れてしまう。自分はこれがかなり顕著で、高校の物理化学や教習所の座学知識、それどころか学部時代に勉強した数学も忘れている。そんな自分でも忘れてないことを少し話そうと思う。細かいことは省略して話すことにする。
例えば、次の問題を考えてみよう。
全ての偶数全体の集合と、全ての整数全体の集合は、どちらが大きいか?
この問題を見た時、誰しも最初は
偶数全体の集合(2ℤとかく)は整数全体の集合(ℤとかく)に含まれてるし、ℤは奇数も持ってるから、ℤの方が大きいはずだろう
と思う。だが実際は、両者は同じくらいの”大きさ”をしている。
集合がどれだけ大きいかを見るにはその集合にどれだけの要素があるのかを見ればよい。だがℤや2ℤは無限に要素がある無限集合なので具体的に「~個ある」と断言できない。(「無限」と言うのは数字ではない)なので無限集合の要素の個数は「濃度」という言い方をする。
集合の濃度の大小を知るために、用語を準備しよう。
写像
A,Bを集合とする。Aの元 a に対してBのある元 f(a) を対応させる規則 f のことを、AからBへの写像といい、
f : A → B
とかく。例えば、 高校数学で二次関数や直線の問題でf(x) = 2x+3 というような書き方を見たことがあるかもしれないが、これは「 x を 2x+3 へ変換する」ということである。
単射、全射、全単射
上で定義したような写像 f が
p ,q ∈ Aに対し、p ≠ q ならば f(p) ≠ f(q)
が成り立つとき、 f は単射であるという。
つまり、異なる元は変換されても異なる元になるということ。
一方、Bのどんな元 b をとってきても、あるAの元 a があって、
b = f(a)
が成り立つとき、 f は全射であるという。
つまり、Bのどんな元もAのある元で変換したものになっているということ。
更に、 f が単射かつ全射であるとき、 f は全単射であるという。
イメージとしては、Aのどの元もそれぞれ相異なるBの元に変換され、その変換された元全てを集めると丁度Bが出来るということである。
濃度が等しいとは?
二つの集合A,Bの濃度が等しいとは、AからBへの(もしくはBからAへの)全単射がつくれるときをいう。
この定義の厄介なところが、「全単射が存在している」ということで、この定義通りに濃度が等しいことを言うには、自分でうまく写像を作って、それが全単射であることを言わなければならない。
では実際に2ℤとℤの濃度が等しいことを示そう。
f : ℤ→2ℤ を、n ∈ ℤに対し
f(n) = 2n とおいてみよう。
単射性
n, m ∈ ℤが、n ≠ m ならば 2n ≠ 2m であるので、f は単射である。
全射性
偶数は2の倍数なので、どんな偶数も 2p という形でかける。(pは整数)
よって 2p = f(p) より、f は全射である。
これらより、f は全単射であることが言えたから、ℤと2ℤは濃度が等しい。
我々は有限に縛られている
ここで自分が言いたかったのは、有限の世界で成り立つことでも、無限の世界では成りたつとは限らない、ということである。こんな式もある。
1 + 2 + 3 + 4 + ...= -1/12
なんで正の数を足していってるのに値が負の値になるんだ?と思った。無限の世界は有限には囚われないヤバさ(褒め言葉)がある。